tanOSHI

たのしい?

わたしとポルノグラフィティについて

自分の生活を放棄するほど好きになるのはあの時期特有の傾向だ。ポルノグラフィティを好きになったのは、13歳になる直前くらいだった。

 

小学生時代、好きなJ-POPもなかった私だが、受験が終わった小学生の終わりに「鋼の錬金術師」に狂い始めて、ベストアルバムを入手。父から譲ってもらったiPodに入れて、頭からお尻まで再生し続けた。なかでも好きだったのが「メリッサ」だった。だが未だ歌手に興味はもっていない。

中学に入学すると、流行りの音楽(Aqua TimezYUIいきものがかり など)をiPodに入れ始めた。耳の中で音楽が鳴り響き豊かな歌声が聴こえることの原初的な喜びに浸り、電車で音楽を聴くときはただただ恍惚としていた。思い返すと、電車が音楽空間に彩られ、さながらARような体験だった。音楽をもっと聞いてみたい、とMステやCDTVを毎週見始めた。このとき2008年。過去映像で衝撃を受けたのが「愛が呼ぶ方へ」の映像だった。これ、TVで聞いたことがあるような気がする...時間が止まる。私はこの歌が大好きだ!!! と、泣きたいような嬉しいような、ともかく有頂天の気持ちになった。上の階にいる母親に報告した覚えがある。(記憶違いかもしれないが、誰かに伝えた気がする)

 

それがメリッサと同じ人だと気づくと早かった。ラブデスの出演をみて、CDを借りて毎日聞いて、ネットでひたすら検索していた。ポルノに関するすべての情報を知りたかった。ポルノもそうだけど、昭仁さん狂いになっていった。声も顔も全部好きすぎた。もちろんyahoo!ブログにあがっている、たくさんの画像や携帯画像を保存していった。授業中には歌詞をかき、全部暗記できているか確かめた。狂気的である。

 

母親はライブに理解があったから、2009年にロイスーのライブに初めて行かせてもらって、当日ファンクラブに入会。ライブは、夢空間が現実にあるのかと、とんでもない衝撃を受けた。一言一句すべて覚えているような気がするが、それはDVDを見ているせいかも。気持ちがおさまらない。何かしないと落ち着いていられない。ということで、ブログ(忍者ブログというかなりマイナーなブログが気に入っていた)をはじめ、ひたすら文章をかいた。絵もかいたきがするけど、あんまり上手く描けないから気に入らなかった(本当はもっとかっこいいのに)。リリースされるたびに感想をかき、ライブレポートをかき、ラジオの文字起こしをし...同じ年くらいのブログの子と友だちになる。東京ドーム公演で、神戸からきた最初にブログで知り合った子とあったり(彼女は、元気かな...)、仙台からきた子と一緒に東京公演、静岡野外公演(母同行あり)にいったり、他の友だち交えてカラオケとかにもいったり、リリース記念のタワレコやCDショップを回ったり、、。書いていたら思い出して楽しくなってきた...。

 

そんなこんなで中高はファン生活を謳歌していたが、離れていったのは2013年〜、大学受験期以降だったかな。

2014年大学に入ると、知らない音楽がたくさん身体に入ってくることになる。それは好奇心を満たし、新たな気持ちを抱かせ、音楽で身体を癒したり、振るわせたりする方法は多様だと知っていった。そうすると、ポルノのライブの「みんな同じ振り」の団結や、音数の多さをボーカルが突き抜ける、みたいな音楽と、テンションが完全に合わなくなってしまった。あと、新曲の歌詞の世界観に共鳴できなくなっていった。もうポルノは卒業ってことなのかなあ・・と、じわじわ、遠ざかっていく。

この時期、ライブに関してはその瞬間を感じる集中力が高まったけれど、音楽については、いろんな音楽を「知る」ことに重点を置きすぎて、大学時代は自分が何を好きなのか、ほとんど手綱を手放してたように感じる。これは後悔。だけど対処するのが難しかった。情報に自分を埋め尽くされている状況。サブスク解禁も重なって、ひたすらいろんなものを食べて、食べて、食べて、ずっと腹が痛かったかもしれない。私はそんなに大食いじゃないんだよね。

 

働き始めて。食べまくらなくても生きていける、とわかった。(それまではなんとなく、食べまくらないと生きていけない世界なんだと思ってた笑)

ただ、時間がなくなったし、気を抜くと「仕事」が私を食ってしまうので、選択と集中で、以前より自分と向き合うことに意識的になった。世界が広いこと自体は、わかったし、食べ尽くすことはできないから。自分の感覚に聞く...だんだん「わたしの好きな曲」(映画ちびまるこか?)の世界が戻ってきた。それを一人で大切にすることができた。これは働き始めてよかったことの一つだ。

「わたしの好きな曲」に向き合いはじめても、「現役」のポルノのファンに戻ることはなかった。すっかり力の抜けた曲が好きになってたから。一方で、「あのときのポルノ」みたいに、何かの音楽や世界に熱狂することもない。というか、「外部のひとつの対象への熱狂」自体、距離をおいている。それにもう飽きてしまった気がするし、熱狂に対して、ちょっと怖いな、、とストップをかけている自分がいるような気もする。当時わたしは、ポルノに音楽以上の何かを夢見ていたし、ファンの人は、今もそういう人は多いだろう。そういう意味ではさながらアイドル的なのだ。もしくは、スター。

(昭仁さんは自分たちの音楽に自信がない時期があった、というようなことをインタビューでも言っていたけど、音楽で音楽以上の何かを魅せるのってすごいからな...と思う)

 

そうこうしてるうちにコロナになり、以降、昭仁さんはソロ活動をはじめたり、晴一さんも演劇を作ったりという、ニュースを聞いては以前より少し気にするようになった。なんというか...めちゃくちゃ勝手なことをかくが、一方的な「親戚」のような気持ちなのだ(離れたとか親戚とか、本当に勝手すぎる)。私はあの頃みたいに溌剌としたファンではないが、ふたりに愛着があることに気づく。疲れるとたまに昔の曲を聞いて癒されたりする。ライブを続けているふたり。その世界はある。

 

コロナとか予測不可能なことがあって、すべてが永遠じゃないよな、、と思い始めたころ、そして、自分のマインド的に、熱狂、までいかずとも、ラブな気持ちをもっと信じたい、という感覚になりはじめた2024年初め、先述した今でも友達のポル友(と呼ぶ)の2名から声がかかる。「よかったら、次のライブはおいで!!周年ツアーだし楽しいよ!」というのだ。二人は現役ファンで熱量の差があるなか、それを押し付けるわけでもなく、友だちとして仲良くしてくれて、絶妙なかんじで声をかけてくれるのがすごいありがたいし、嬉しい。ファン同士の友だち、を超えている関係だと思っている。

 

ということで、有明アリーナまではるばるいってきた。とても久しぶりのライブ。正直楽しめるか不安であった。

完全に自分のマインドの問題なのだけど、2019年に一度いってみたライブでは、やはりみんなの「同じ振り」に馴染めず、拗ねた気持ちがあった。だけど今回は、自分がどう感じるか、を大事にしたかったから、その振りが嫌なときは、一人で違うことをする、という選択ができた。全部合わせないわけではない。センラバやMアワは楽しいので一緒に同じことをします...。とにもかくにも、好き勝手にやった。(アコースティックバージョンの手拍子は、音楽が聞こえなくなってしまうので、それでもやはり少し抵抗感が強かったが....)

 

それでわかったことは、私はやはり昭仁さんの歌がとんでもなく大好きである。めちゃくちゃやばい。頭がおかしい。テンションが上がるし癒される。滋養みたいなのを感じる。正直歌詞に「えー」って思っても、歌っていれば聞いてしまう。魔力。彼は、歌うことに関してはすごい考えて苦労して...みたいなことがなかったと、インタビュー動画で言っているが、今どき「頑張って乗り越える」みたいな話が多いなか、全然そうじゃなくって(歌手ってそういうのは多いかもだけど)、その突き抜けた才能と人柄で守られている空間があって、それに触れて子どもみたいな気持ちになる。ただあったかい海辺の太陽、のような。そのくらいのものを感じる。ライブ自体に、そういうものが広がる。

 

そしてやっぱり観客の「一致団結」感は苦手ではあるが、ファンのみんながその空間を待ち望んでいた、という空気がすごい。そして、アゲハ蝶のコーラスでは、アリーナ空間で声がぴったり揃っているのも恐ろしかったけど、心を込めて観客が歌っている様子に心を打たれた。私だって好きなんだよ...このコーラスがね...。でかい会場で、でかい声で歌えるのは気持ちええのう。帰りは、ポル友(チケットを手配してくれて感謝だね...)とおちあって、その同行者と知り合った。彼女も優しくて可愛い人だった。旧友は、2011年からつけている「ライブノート」をみせてくれて、最初のほうのページに私の書き込みもあった。これをずっと持っている彼女はすげえが、当時の愛情みたいなのが心に宿って、あったかくなった。そうだ、今はもう熱狂じゃなくなったし、いろんなものが好きになったけど、ここも好きな気持ちがある、とんでもなく温かい気持ちになる...。

 

ポルノのライブ楽しかった、あの歌声が好きだ。たまに帰らせていただきます。