tanOSHI

たのしい?

わたしとポルノグラフィティについて

自分の生活を放棄するほど好きになるのはあの時期特有の傾向だ。ポルノグラフィティを好きになったのは、13歳になる直前くらいだった。

 

小学生時代、好きなJ-POPもなかった私だが、受験が終わった小学生の終わりに「鋼の錬金術師」に狂い始めて、ベストアルバムを入手。父から譲ってもらったiPodに入れて、頭からお尻まで再生し続けた。なかでも好きだったのが「メリッサ」だった。だが未だ歌手に興味はもっていない。

中学に入学すると、流行りの音楽(Aqua TimezYUIいきものがかり など)をiPodに入れ始めた。耳の中で音楽が鳴り響き豊かな歌声が聴こえることの原初的な喜びに浸り、電車で音楽を聴くときはただただ恍惚としていた。思い返すと、電車が音楽空間に彩られ、さながらARような体験だった。音楽をもっと聞いてみたい、とMステやCDTVを毎週見始めた。このとき2008年。過去映像で衝撃を受けたのが「愛が呼ぶ方へ」の映像だった。これ、TVで聞いたことがあるような気がする...時間が止まる。私はこの歌が大好きだ!!! と、泣きたいような嬉しいような、ともかく有頂天の気持ちになった。上の階にいる母親に報告した覚えがある。(記憶違いかもしれないが、誰かに伝えた気がする)

 

それがメリッサと同じ人だと気づくと早かった。ラブデスの出演をみて、CDを借りて毎日聞いて、ネットでひたすら検索していた。ポルノに関するすべての情報を知りたかった。ポルノもそうだけど、昭仁さん狂いになっていった。声も顔も全部好きすぎた。もちろんyahoo!ブログにあがっている、たくさんの画像や携帯画像を保存していった。授業中には歌詞をかき、全部暗記できているか確かめた。狂気的である。

 

母親はライブに理解があったから、2009年にロイスーのライブに初めて行かせてもらって、当日ファンクラブに入会。ライブは、夢空間が現実にあるのかと、とんでもない衝撃を受けた。一言一句すべて覚えているような気がするが、それはDVDを見ているせいかも。気持ちがおさまらない。何かしないと落ち着いていられない。ということで、ブログ(忍者ブログというかなりマイナーなブログが気に入っていた)をはじめ、ひたすら文章をかいた。絵もかいたきがするけど、あんまり上手く描けないから気に入らなかった(本当はもっとかっこいいのに)。リリースされるたびに感想をかき、ライブレポートをかき、ラジオの文字起こしをし...同じ年くらいのブログの子と友だちになる。東京ドーム公演で、神戸からきた最初にブログで知り合った子とあったり(彼女は、元気かな...)、仙台からきた子と一緒に東京公演、静岡野外公演(母同行あり)にいったり、他の友だち交えてカラオケとかにもいったり、リリース記念のタワレコやCDショップを回ったり、、。書いていたら思い出して楽しくなってきた...。

 

そんなこんなで中高はファン生活を謳歌していたが、離れていったのは2013年〜、大学受験期以降だったかな。

2014年大学に入ると、知らない音楽がたくさん身体に入ってくることになる。それは好奇心を満たし、新たな気持ちを抱かせ、音楽で身体を癒したり、振るわせたりする方法は多様だと知っていった。そうすると、ポルノのライブの「みんな同じ振り」の団結や、音数の多さをボーカルが突き抜ける、みたいな音楽と、テンションが完全に合わなくなってしまった。あと、新曲の歌詞の世界観に共鳴できなくなっていった。もうポルノは卒業ってことなのかなあ・・と、じわじわ、遠ざかっていく。

この時期、ライブに関してはその瞬間を感じる集中力が高まったけれど、音楽については、いろんな音楽を「知る」ことに重点を置きすぎて、大学時代は自分が何を好きなのか、ほとんど手綱を手放してたように感じる。これは後悔。だけど対処するのが難しかった。情報に自分を埋め尽くされている状況。サブスク解禁も重なって、ひたすらいろんなものを食べて、食べて、食べて、ずっと腹が痛かったかもしれない。私はそんなに大食いじゃないんだよね。

 

働き始めて。食べまくらなくても生きていける、とわかった。(それまではなんとなく、食べまくらないと生きていけない世界なんだと思ってた笑)

ただ、時間がなくなったし、気を抜くと「仕事」が私を食ってしまうので、選択と集中で、以前より自分と向き合うことに意識的になった。世界が広いこと自体は、わかったし、食べ尽くすことはできないから。自分の感覚に聞く...だんだん「わたしの好きな曲」(映画ちびまるこか?)の世界が戻ってきた。それを一人で大切にすることができた。これは働き始めてよかったことの一つだ。

「わたしの好きな曲」に向き合いはじめても、「現役」のポルノのファンに戻ることはなかった。すっかり力の抜けた曲が好きになってたから。一方で、「あのときのポルノ」みたいに、何かの音楽や世界に熱狂することもない。というか、「外部のひとつの対象への熱狂」自体、距離をおいている。それにもう飽きてしまった気がするし、熱狂に対して、ちょっと怖いな、、とストップをかけている自分がいるような気もする。当時わたしは、ポルノに音楽以上の何かを夢見ていたし、ファンの人は、今もそういう人は多いだろう。そういう意味ではさながらアイドル的なのだ。もしくは、スター。

(昭仁さんは自分たちの音楽に自信がない時期があった、というようなことをインタビューでも言っていたけど、音楽で音楽以上の何かを魅せるのってすごいからな...と思う)

 

そうこうしてるうちにコロナになり、以降、昭仁さんはソロ活動をはじめたり、晴一さんも演劇を作ったりという、ニュースを聞いては以前より少し気にするようになった。なんというか...めちゃくちゃ勝手なことをかくが、一方的な「親戚」のような気持ちなのだ(離れたとか親戚とか、本当に勝手すぎる)。私はあの頃みたいに溌剌としたファンではないが、ふたりに愛着があることに気づく。疲れるとたまに昔の曲を聞いて癒されたりする。ライブを続けているふたり。その世界はある。

 

コロナとか予測不可能なことがあって、すべてが永遠じゃないよな、、と思い始めたころ、そして、自分のマインド的に、熱狂、までいかずとも、ラブな気持ちをもっと信じたい、という感覚になりはじめた2024年初め、先述した今でも友達のポル友(と呼ぶ)の2名から声がかかる。「よかったら、次のライブはおいで!!周年ツアーだし楽しいよ!」というのだ。二人は現役ファンで熱量の差があるなか、それを押し付けるわけでもなく、友だちとして仲良くしてくれて、絶妙なかんじで声をかけてくれるのがすごいありがたいし、嬉しい。ファン同士の友だち、を超えている関係だと思っている。

 

ということで、有明アリーナまではるばるいってきた。とても久しぶりのライブ。正直楽しめるか不安であった。

完全に自分のマインドの問題なのだけど、2019年に一度いってみたライブでは、やはりみんなの「同じ振り」に馴染めず、拗ねた気持ちがあった。だけど今回は、自分がどう感じるか、を大事にしたかったから、その振りが嫌なときは、一人で違うことをする、という選択ができた。全部合わせないわけではない。センラバやMアワは楽しいので一緒に同じことをします...。とにもかくにも、好き勝手にやった。(アコースティックバージョンの手拍子は、音楽が聞こえなくなってしまうので、それでもやはり少し抵抗感が強かったが....)

 

それでわかったことは、私はやはり昭仁さんの歌がとんでもなく大好きである。めちゃくちゃやばい。頭がおかしい。テンションが上がるし癒される。滋養みたいなのを感じる。正直歌詞に「えー」って思っても、歌っていれば聞いてしまう。魔力。彼は、歌うことに関してはすごい考えて苦労して...みたいなことがなかったと、インタビュー動画で言っているが、今どき「頑張って乗り越える」みたいな話が多いなか、全然そうじゃなくって(歌手ってそういうのは多いかもだけど)、その突き抜けた才能と人柄で守られている空間があって、それに触れて子どもみたいな気持ちになる。ただあったかい海辺の太陽、のような。そのくらいのものを感じる。ライブ自体に、そういうものが広がる。

 

そしてやっぱり観客の「一致団結」感は苦手ではあるが、ファンのみんながその空間を待ち望んでいた、という空気がすごい。そして、アゲハ蝶のコーラスでは、アリーナ空間で声がぴったり揃っているのも恐ろしかったけど、心を込めて観客が歌っている様子に心を打たれた。私だって好きなんだよ...このコーラスがね...。でかい会場で、でかい声で歌えるのは気持ちええのう。帰りは、ポル友(チケットを手配してくれて感謝だね...)とおちあって、その同行者と知り合った。彼女も優しくて可愛い人だった。旧友は、2011年からつけている「ライブノート」をみせてくれて、最初のほうのページに私の書き込みもあった。これをずっと持っている彼女はすげえが、当時の愛情みたいなのが心に宿って、あったかくなった。そうだ、今はもう熱狂じゃなくなったし、いろんなものが好きになったけど、ここも好きな気持ちがある、とんでもなく温かい気持ちになる...。

 

ポルノのライブ楽しかった、あの歌声が好きだ。たまに帰らせていただきます。

 

 

イタリア&フランス 2023の旅

5年ぶりの約2週間の旅路まとめ。

 

◆印象的だったもの

  • 自動車博物館@トリノ Il Museo Nazionale dell'Automobile

自動車の誕生(ダヴィンチが構想した車のシステムからスタート)から自動車の未来まで

歴史をたどりながら、これまでの車を一挙にみられる博物館。2時間は必要でとても広いし

色とりどり、かたち様様なクラシックカー、楽しすぎる。。

フィアットの500の最初のモデルとか、トポリーノ(ミッキーマウス)モデルのフィアットもあった〜。

印象的だったのは、1907年、北京からパリへクラシックカーで走り切ったという車。

そういうレースがあったというのも驚いたし、その後も何度かこのレースやってるらしい、、さらに来年2024年にも行われるとか。

当時は道こそ整備されてないやろうし、信じられない...情熱しかない...。

 

 

エスプレッソ、チョコレート、生クリームでできたホットドリンク。

ヘミングウェイにより「世界で残すべき100のもの」に選ばれてるとかなんとか...。

一緒にチョコ食べてまた味わい深い。寒空の街歩きで疲れた身体を癒してくれる。

もともとチョコレートは薬だったことを今回の旅で何度も思い出した。イタリアのチョコって味がぎゅっとしてる。

あと、パニーニで食べたBRA(生の牛肉)も美味しかったな〜。

 

  • ベラッジョ Bellagio

コモ湖のリゾート地。「コモの真珠」と言われている。

小さくて品のいい街なみで、お土産屋さんにあるものもどことなくエレガント。

お金持ちの別荘もたくさんあるらしく夏は大変に混むそうだが、

OFFシーズンなので静謐な雰囲気を楽しんだ。アルプスの山が見える湖畔はひんやりと

素晴らしい空気で、秋の太陽が照らす湖面が激しく光っているのをみて、イタリアを感じた。

このカラッとした雰囲気は、日本では出ない!

日本の秋の湖は、どうしても寂しさがあるからね。

Bellaggioにいくフェリーで、Menaggioも通るんだけど、似た名前に全員が混乱してたのを見かねて、船長さん?が「Menaggio め!なっじょ!」と繰り返してたので

船内がやさしい笑い声に包まれたときほっこりした。

フェリーはあまり揺れずあったかくて気持ちよかったー。

 

  • Cantina Piemontese@ミラノ

つれてってもらったお店。すごい凝った内装で、東洋趣味も感じられるイタリアン。

だけど現代的すぎず、おさえてるところはおさえてる感じがした。

旬のフンギ(きのこ)のパスタ、かおりがすごーくて美味しかったあ〜〜。

 

相変わらずサイズも雰囲気も作品も大好きな美術館。

同じ近現代でも、ポンピドゥーよりもこっちのほうがワクワクするのはなんでか勉強して知りたい...。

卒論のテーマのきっかけになったマリーニの像も健在。修学旅行生は全員「あれ」を見て笑ってたけど、それでいいのだ〜

 

今回はAlla Madonnaにはいかず。Trattoria Pontiniで食べた。

ワインも安くてヴェネツィアトラットリアにしてはとても良心的だと思う。

Barがある感じも地元っぽくてよかった。

 

ホテルの位置の関係で、あまり中心にはいかず、Cannaregio地区をうろついていた。

奥まで行くと土地の人も住んでいて、バーカロやジェラテリアの雰囲気も最高。

ずっとこのへんで夕飯食べればよかったな〜とも。

とぼとぼ歩いてると、ヨーロッパで初めてのユダヤ人ゲットー地区があった。

シナゴーグには入れず。時間があれば勉強ツアーにも参加してみたかったけれど。この時勢もあってゲットーの中心には警備員が2人いたけどいちゃいちゃしてて緊張感ゼロ。

ヘブライのお菓子も食べてみた。Mandorlaのペーストが入ったお菓子。とてもほろほろで優しい味だった。Buon assaggio!と、優しいsignoraが売ってくれた。

これまでの歴史と今起きている戦争に思いを馳せた。

 

観光客に圧倒されて疲れたこころとからだを癒してくれたデカパニーニありがとう。

静かな街角にあって、それもよかった。美しい時間だった。

 

殿堂入り。大都会ミラノと、最大観光地ヴェネツィアで疲弊した心を癒してくれるcamiriere...

今回の旅で初めて「Ciao, cara. Tutto bene?」と言われて泣いた。

隣の英国人もなんだか気さくで、このワイン美味しいよと勧めてくれたのをそのまま頼んだけど、1杯10ユーロだったのも良い思い出だね...。

小牛とトマトのラビオリ、お決まりのパンナコッタで締める。

サントスピリト地区、やっぱり好き。

 

*このあとSabor Cuobanoまで歩いて飲む。キューバのお店。

DJをやってる彼女とCami Layé Okúnの話で盛り上がる。

 

とまったホテル。ヴェネツィアのホテルもかわいかったけれど、

Berchielliは朝食の味と、スタッフさんが一番親切だったのはここ。

お湯加減もよく、浴槽も広かったし。

湯沸かし器や体温計もすんなり貸してくれた。

ホテルのおかげで、フィレンツェでぷち体調崩し気味だったときも、快適に過ごせた。

 

やっとこれたーーーーーー!

約1時間半の滞在だったが、在学中ずっと改修中だったので念願かなって。

高低差を生かした素晴らしい展示。

大きい作品と小さい作品のバランスがパーフェクト。

階段を歩いてるとこんなところにも!と精霊のようにひそむちっちゃい作品。

角度をかえてみると、同じ題材の2つの作品が相似になっているのにも気づく、美しい。

マリーニを楽しむには絶好の場所。

マリーニをなぜ好きなのか考え直した。

「自分はエトルリア人だ」というマリーニの彫刻には、どれも古代の大きな流れが通底する。

基本、どっしりとした木の幹のような安心感。スピードに流されない信頼感。

それに加えて、現代的な遊び、軽さを取り入れた雰囲気がすごく肌に合うんだよね。

楽しむことが重要、とその日も言われた気がした。

特定の芸術を好きになるのは友だちができる瞬間に似ていると思う。

 

  • クリスマスムードの街(特にパリ)

トリノのクリスマスショップ、フィレンツェのクリスマスの街頭どれも凄かったけど、特にパリのクリスマスムードは素晴らしかった。

(比べるのもおかしいけど)クリスマスの手垢がついた日本の商業的イメージ、型にはめたイメージ、それを皮肉るイメージどれも疲れていたけど、

本場のクリスマスはまさにまっすぐで、ときめきと温かさでいっぱいでした。

そういう意味でも日本の正月だなと思った。(年末・正月を皮肉る人はあんまりいない)

これでもかというくらい盛り盛りのライトはしかしパリの街ともあっていて、

初めていった最大規模のテュイルリー公園のクリスマスマーケットは移動遊園地の光とホットワインの香りで溶けそうになった。

体調戻らずのパリでここまで楽しめたのはアパルトマンの立地のおかげだった...本当にあそこにしてもらってよかった。

 

日数を減らしたパリで、最後思い残すことなくエンジョイし尽くすため、グルメ館で遊び倒した。

やりたい放題、楽しかったな〜

・マブロマティスギリシャ料理)のラムのフリットとヨーグルトソース、ワインを堪能。

 (私はギリシャ料理のヨーグルトソースが大好き。日本で見つけづらいよね)

・赤ワインを一本ジャケ買い

 (今までみてきたワイン売り場のなかで一番広い!興奮!)

・ピエールマルコリーニのホットショコラをいただく。

 ぎゅん!!!とあたたまって二人で叫ぶ。クランチチョコみたいなのもついてきた。

・Alléno & Rivoire(砂糖ではなく白樺の樹液をつかったチョコ)と、もう一つチョコをお土産に。

・スパイスと塩を打っているお店で、黒い塩を小さい瓶に入れてもらう。

・PHILIPPE CONTICINIで、パリ・ブレストと、黒いケーキをいただく。本場のパリブレスト、キラキラだった。

・翌朝のためにクロワッサンも購入。

ギャラリーラファイエットはまさに伊勢丹新宿本店を彷彿させた。

伊勢丹がここを真似したんだね〜。子供服売り場なんて、まんまだった。

アドレナリンの出方同じ。

 

  • Comme un bouillon@パリ

フランスの大衆食堂bouillon。いきたかったbouillonは遠かったので

近場にしたらここも安価でボリューミー、大変美味しかった。

 

 

◆思った

  • Ahamoの海外ローミング無料、ほとんどの状況で、しっかり機能した。WIFIいらないの最高!

各地でつながる回線をつかうみたいで、ボーダフォン、WIND3、TIM、フランスではorangeなどそれぞれにつながって面白い。TIMを捕まえたとき繋がらなくなったときあったけど、TIMはイタリアでも評判悪いみたい。15日以上滞在するときは通信速度落ちるというのを知らなかった!

 

  • 現金まじで要らない

barでもカードをすすめられる。今回いったのが大都市だからですか?

 

  • 5年たって、、時差ぼけが激しい

到着時は大丈夫だったんだけど、帰国しての時差ぼけがこれまでで一番ひどい

今もたたかっている。多分疲れもある。

  • 思い出のヴェネツィアユースホステルはコロナでなくなっていた。ショック。
  • でも思い出をおいかけすぎると楽しめなくなるな、と思って、旅の後半から反省して今を生きるようにした。
  • ヴェネツィア高すぎる ミラノもやっぱり高い
  • 良いホテルは宿泊税が高いなー!星によって変わるの知らなかった。その恩恵をしっかり受けたが(朝ごはん&お部屋など、快適)
  • さらに追い討ちをかける涙の円安。代理店の方から聞いていた通り、私も旅の後半、円換算しなくなる。(この点においても思い出=過去を追いかけすぎるとよくないのである)
  • ミラノとヴェネツィアで魚ばかり食べていたら、途中で肉食べたくて仕方なくなった。というか肉が切れて動けなくなった。こんなことがあるとは。
  • やるのかやらないのかショーペロ。金曜全国的にショーペロだと聞いてたのに結局電車けっこう動いてた。
  • イタリア語。5年間本当にやっていなかったが、現地について1週間するすると記憶の蓋が開いて聞く分には何の問題もなかった。喋るのはだいぶ忘れてた。活用とか...。
  • 旅行レベルだと、言語の問題はなく、気持ちの問題が多い...。日本だと、言うのためらっちゃうときがあるからね。そういうのをどんどん忘れていく2週間だった。歌うように喋る。喋ることで身体がめぐる。ぎゅんぎゅん。

 

◆旅を終えて

結果的に、この4年間でかたまってしまってた心の雪解けをもたらす旅となった。

 

正直この1年間顔がまっしろになって、どうやって感じればいいのかわからなくなってた。

でも無理に感じにいくのも違うし...と悩んでた。感じるのは、むこうからやってくることだから。もはや何をしたい、どこいきたい、とかもわからなくなっていて、危機を感じたので、とりあえずイタリアに戻ることに。

 

結果、仕事生活やコロナでふさいでたドアをやっと開け放って換気することに成功。

これまで自分のこと殺し過ぎてた!!!あぶねー!と気づいたし、

顔が明るくなった、と同居人かつ同行者に言われる。

最近ずっとワークライフバランスのなかでたたかっていたが、その外側へいけたからだ。(帰りの飛行機でみたマトリックスレザレクションの打倒セラピスト!と重なる。。。ふふ...)

ここ最近も旅行(国内やグアム)はしていたが、それでは辿り着けなかった...。日常のなかのOFFじゃなくて、冒険をしたからだと思う。

 

まぁこんな贅沢な旅はなかなかできないので、冒険の仕方を考えていきますが。

 

 

旅をアレンジしてくれたトゥッタイタリアに感謝。。

遠くへ行くことはやっぱり素晴らしい。ありがたい。

円安に負けないぞ。工夫すればいけないことはない。

ヨーロッパ以外も、たくさん行きたくなってきた!

私は生まれ直している スーザンソンダグ

 

ーーこれからは、意識に入り込んでくるありとあらゆるものごとを書く。

高尚な文化をあまりにも長い時間、むさぼり食ってきたことからくる、一種の愚者の自尊心。

私は口が下痢気味で、タイプライターは便秘気味。

くだらないものでも気にしない。いかに書くかを習得する唯一の方法は書くこと。

考えていることが不完全だからっていうんじゃ、書かない言い訳として不十分。

 

ーーもっとも貴重なものは生命力(バイタリティ)。・・・意志+精力+やりたいことをやる意欲+失望に「沈没」させられないこと。

アリストテレスは正しい:幸福は目指すものではなく、目指す活動の副産物だ

 

(1957年。ソンダグ24歳くらいの日記)

 

ーーー

 

この日記は16歳からはじまる。

16歳で大学入学したその知識への貪欲さと元々の文学の造詣に圧倒されながらも、

新たな人との出会い、知性へ憧れつつも、知性と感性の狭間での葛藤に苛まれる姿、性的な欲求と発見や戸惑い、家族との距離感(「知的には出て行きたかったが、感性的には出ていきたくなかった」)は全く大学1年生の普遍性を感じて、親近感があった。あと内省ばかりしてる日記をはじてるとことか。

がやはり、その考える深度と、芸術への探究心と、偉大な文学/芸術と自分が同じ土俵にたっているという自負から、まさにバイタリティの塊がほとばしっていて、ものすごいエネルギーだった...。

これが16歳...母になるのも早いし、人生が...先を言ってる感じ。この感じで30歳くらいの日記はどんなんだ(←まだ読んでない)

中からほとばしってるんだよな〜隙がないかんじは「前書き」通り、まじめでアイロニーがない感じではあるが、

息が詰まるものではなく、「生まれ直す」過程なので、常に次へ行こうとしてコックピットにのっているスリル・ドキドキが。

 

薪能 「羽衣まつり」@三保松原

 

静岡で毎年行われている「羽衣まつり」にいってきました。

https://shizuoka.hellonavi.jp/tourist-attractions/central/mihonomatsubara2021

 

能と狂言をいくつか見たけれど、どれもこんなに楽しめるとは。

発祥の地とされる三保の松原の海岸すぐで行われる能「羽衣」。

元となった「羽衣伝説」はこちらをご覧ください。 なかなか面白いお話。

https://shimizukaigan.doboku.pref.shizuoka.jp/asobu/hagoromo/

 

初めての能。このロケーションで見たからこそ楽しめたと確信している。

海を見て、富士山をみて、かぜにふかれて、ぎりぎり肌寒くない秋のひんやりとした空気に包まれ開放された気持ちで着席すると、心の器が大きくなる。

謡(コーラス隊)とはやし型(楽器隊)の凛とした出立ちと音に耳を澄ませてるだけで、どこか違う世界へつれていかれる...

シテ(主役)の羽衣の天女の舞が、見たこともない美しさというが、小刻みに少しずつ動く...どうやって楽しめばいいんだ?と最初は「?」だった。でも、「?」のままいるとだんだん、なんともいえないその動きに、薪の火のこと夕焼けがぱっと重なり、衣装の羽衣がきらっとしたときに、ぶっとんだ...。なんというか...舞なのに静止画?静止画のなかの無限の動き? 舞台を「みている」といつも視覚優位になるが、コーラスの歌が天女の舞のイメージの土台を作っていたため、聴覚・視覚・そして薪の匂い、いろんなものがあわさって、全く違う時間軸に連れて行かれた。

 

もはや現代アートで得られる感覚のような=現代を生きるSNSマルチタスクデスクワークの均質的な速すぎる時間から、遠く、遠く離れた、まったく違うパースペクティブになっていて...

 

「素晴らしい舞」と言われた時にクラシックバレエを軸にした人間の身体の「動き」の素晴らしさを最大限に見せる派手さ・華やかさを想像していたことを、なんて思い込みなんだ!と思った。記憶に新しい映画「犬王」は確かに面白かったけど、コンテンポラリーダンスで跳ねまくってたよね、、この舞ってそういうダイナミックさとはむしろ真逆なんだよ...! だからこそ「動き」ではなく「運び」...。そのゆっくりのなかに無限の時間が流れていて、奥行きと、動作と静止の間の境が、異界の天女・人間の出会いが、昼から夜へうつりかわる夕暮れの合間が誘う...「これが...!! あの幽玄かッ......!?」トリップしましたね。

 

シテ・ワキ・謡などの姿勢や様式がかっこよすぎるし(後見というアシスタントでさえかっこいい)、シテは美しかったし、いろんなつぼをぎゅぎゅっと押されて、静かな興奮がおしよせる。

なんだか天女そそくさ帰ってくのがかわいかったし...そう、天女=シテ(主役)舞台から出ていくとき印象的だったんだよね。突然で、「あれ?」って。

他の演者たちもあとを追うように舞台から出ていくその頃に「あ、終わったのね」とやっと思えて、周りからパラパラ拍手が。

終演後家族で、「拍手が似合わなかったね」という議論になったんだけど、やはり基本的に拍手はしないみたい。

https://www.the-noh.com/jp/trivia/010.html

「能の舞台は、いつの間にか始まり、ひとときの夢のごとく終わる世界です」とあるけど、まさしく...。

なんというか、演者vs観客という構造じゃないんだよね。包まれちゃうの、世界に。だから終わるときは、その世界がふっときれて、あれ、ここは...?ってなるかんじ。だから、拍手とか、似合わないんだよね。すぐ拍手できる人は、夢の中に入ってないと思う。

 

美しい時間だった。

 

 

ほか曲目、縛棒の狂言と、車僧の能もよかった。

車僧、途中で出てくる小天狗が、僧を魔道におとそうとする手段、「こちょこちょ」だった。こういうのを間狂言というらしい。間に狂言

シュールなファンタジー世界とコメディって、よくかんがえたら私の大好物なんだよね...。そうか...。好きかもしれない。

マティス展 23/7

・(印象派の)筆触分割:普通、色をつくる際、何色かの絵の具を混ぜてイメージに合う色になるまで混色を行うが、筆触分割では、色を混ぜ合わせることはせず、一つ一つの筆触が隣り合うように配置する。(wikiより)

シニャックの招きによる新印象派チャレンジ。1904年ごろの《豪奢、静寂、逸楽》が代表作のようだが、思えばマティスの「絵画の旅」のほんのスタートだった。

 

・1914 第一次世界大戦間:

家族とも孤立し、厳しい境遇だったようだ。キュビズムっぽい実験的画面構成は、シュールな印象もあるが、独特なはげしい色彩感覚にあたたかみややさしさも感じる。

 

・1918 大戦後の古典回帰:

こうした古典的な秩序への志向は、第一次世界大戦後のフランスにおける文化潮流のいち傾向であった。戦線、銃後ともに大きな犠牲を強いた第一次世界大戦後の「総力戦」ののち、フランスの伝統や人間性を重んじる価値観は、造形上の前衛性を求める価値観以上に影響力を持つことになった。マティスは、ピカソをはじめとする同時代の前衛画家と同様、抽象度の高い造形から離れ、古典主義的な様式へと向かったとされる。しかし、マティスにとってこの時期は、単なる保守化ではなく、これまでの自らの試みをあらためて問いなおすためのものであったようだ。

https://www.fashion-press.net/news/102784 より)

マティス以外もそんな傾向だった、というのが面白くてメモ。西洋の女性が民族衣装をきて、鮮やかな模様の布地をバックにすっと立っている構図の絵がいくつかあり、児島虎次郎の作品を共通項を見出す。

 

・1930頃〜

この時代くらいからとても素晴らしくなっていた。「どれくらいの要素を取り除いたら、または隠したら、イメージは成立しなくなるのか?」(キャプションより)というのがマティスのテーマのひとつだったと書かれていたが、そこに到達しようとしている様がうねうねと感じられて作品ひとつひとつが生き物のようだった。すばらしい彫刻でも、よりそう感じたかもしれない。ひとつの意味がある線模様が具体性をつれてくるときそれはイメージを作り得るが、同時に消してしまう感情やインプレッション、のようなものがあって、後者を消すまい、しかし伝えるべきことを伝えたいので線や色をおく、といった姿勢が感じられた。一つひとつが実験のようだった。絵や彫刻はリラックスしていて呼吸が感じられた。あと、またこの人もタヒチかーい(タヒチの光は違う…n回目)

 

好きだった作品

夢 1935

座るバラ色の裸婦 1935

鏡の前の青いドレス 1937

 

これもよかった。「主題と変奏」ってもはや考え方?というか生き様?↓

連作「主題と変奏」は、その成果のひとつであり、人物や静物を丹念にデッサンして対象を完全に把握したのち、それらを「変奏」して自由に描きだすという方法によって構成されている。

https://www.fashion-press.net/news/102784 より)

 

・初期の「金魚鉢のある風景」

・切り絵の「ジャズ」シリーズももちろん大好き。踊り出したくなっちゃう。

 

・大好きなマリノ・マリーニとの共通項発見

同じような抽象度で、マティスも「軽業師」を描いていた。静のなかに踊るような動を見出す線に共通項があった。

こんな展示も!(かごしま!)https://bijutsutecho.com/exhibitions/5767

マティスの30年後にマリーニは生まれているけど、活躍した時期はかぶっている。

夏にみた展示や演劇

 

■TOP MUSIEM 光のメディア

普段は目の前にあるものを残しておくものとして気軽に使ってしまう気でいる「写真」というメディア。

写真は光を残す。でも光ってともすると肉眼では捉えられない。

写真は光を残す。それは自らのものの見え方と精神性へ潜る術となる。

と、いうことをまんまと歩きながら、脳みそでわかっていく空間。濃厚だった。

自分が写真について知り始めようとしたばかりであることを思い知った。

潜り始めるきっかけになりそうで嬉しい。

 

アンナ・アトキンスの植物標本のための青いギンシダの写真が印象的だった。

まだ認められなかった写真と女性という文脈をこえて、なにかすごく訴える青色をしていた。

 

■さんえっくす 90周年展

たれぱんだが全ての始まり=現・会長的立ち位置なのを初めて知ったんだけど、モノクロタッチのイラストは、記憶のなかよりダークな印象がつよく驚いた。

ちょっと隠の要素があるのがサンエックスの持ち味...と改めて感じる。

歴代のキャラを並べた壁は圧巻。10年ごとに、パステルとビビットの色が交互に流行ってるのがとても興味深い。

我々の時代('00)は、ビビット&デジタル初期の印象が強い。その交わりで平成初期の風味が出ている。

今はまたパステルに回帰始まった模様。

 

ゲルハルト・リヒター

・最初のアブストラクトペインティングからめまいがした、、好きとか嫌いの次元を超えてきました。

アブストラクト〜で色が動いて見える...と思ったが最後、キャンバスのなかで波打っていた。

アウシュヴィッツをテーマにした「ビルケナウ」はちょっと空間の圧迫感にやられて長くいられなかった。スマホを気軽にぱしゃぱしゃとってる音にさらにめまいがしたけど、これでますます絵画のなかに潜む写真のイメージは存在感をなくし、リヒターの意図の延長がSNSでも展開され続けると思うと、さらに凄みを感じた。

・今90なんぼの年なのに長男がおれと同じ歳なのもめまいがした。息子の絵はドラキュラの目をしていた。

・自分を排し絵画や視ることを問い続ける作品をいろんな筆致や道具で追求し続けていて、最後のほうのオイルペインティングや鉛筆の絵など、トランスフォームのとどまるところ知らなさにまた驚いたが、すごく楽しく筆を踊らせてることが、そのトランスフォーム具合を見ていてわかった。すごい最終的には陽の印象を感じた。いくら主観を排しても、ここにいる楽しさは忘れていない感じ、、、それがすごく元気付けられた。印象なのでかってなことを言っているかもだけど。

 

■小田原測候所

インスタに感想書いたが最高だった。とくにあの冬の光の橋...。

 

■シャネル展

今「コンサバ」と呼ぶのものを作り上げたということがわかった。当時は革命だったんだね、と。

動きやすくかつエレガントっていう土台、そりゃ有難いよ。

ドレス、背中も見えるように展示してくれ...。

 

■あんなに優しかったゴーレム

マクガフィンという言葉を覚えた。

姿見えなくても、話とエピソードで愛せるだね。

展開ないっちゃないのにずっと見れちゃったのは本当にすごいことだと思う。

ユニコーンが出てきちゃう訳わからなさは好きなカオス!

 

 

 

さいきんの演劇やライブ

■演劇:妖精の問題(市原佐都子)

港区の地域センターさすが立派やなあと思いながら会場着。

最初のコントやバクのくだりは、すこしEテレを思い出した。

性×SF×歌唱×ポップ(ほかにも様々な要素あるけど)はここから来ていたんだな〜と「こうやってバッコスが...」という感想が主となってしまった。

というのも、バッコスのときより見ていて感情の乗せ方がわからなかった。

わからないから良いものもあると思うけど、今回の場合は少し混乱してしまった。

 

■舞台:千と千尋の神隠し

改めて見ると、エグい話だな〜と思った。「働かないといる意味ない」みたいな場所で奮闘して生き延びたり、唯一信じられるハクが次会ったときヒドかったり(モラハラの典型)、当時思わなかったリアルなえぐみが、魅力的な物語のなかに織り交ぜられている衝撃にくらっときた。

なんて斜に構えつつも、見入ってはしまった。アニメの演出をほぼそのまましっかり舞台化していて(よくもわるくも)、美術もすごく力を入れていて、俳優もいきいきと楽しんでる。エネルギーがすごかった。朴さんのユバーバ見れてたのしかった。諸所エド。てかぱくさん。愉快なゆばーばだったね。

上白石ちゃんも、千尋走りをマスターしてるのが印象的だった。

 

■音楽:Otagiriさん

をWWWで見た。友だちに誘われて。声や身振りにぐっと入っていけた。青のイメージ。

ただ一番思ったのは、凹凸のない男性の身体への強烈なあこがれだった。いつもこんなこと思わんのに。

 

■女たちの黙示録 キュンチョメ

この演劇は「郵送され届く」ところから始まる。

何が届くのだろうと思ってたら、フォーチュンクッキーだった。というか私はフォーチュンクッキーを実際に見たことがなかった(ことに今になって気づいた)ようで、「怪しげなお菓子。これは女のメタファーか?」などと考えて、頭が弱かった。割ると電話番号が出てくると知ったのは、「やってみて」ではなく「そういう情報」を得てからだった(これがフォーチュンクッキーだとそのとき気づいた)。クッキーだからまず食べればよかったのに。こういうところがよくないと、勝手に自己嫌悪に陥る。聞いてみると、いろんなパターンの黙示録が、様々な女の声で流れる。だがどれも抑揚なく無機質に感じる。一つ聞いて、悲しくなってもうやめようかな、と思ったけど、「手元にあるプチプチは潰さずにはいられない」みたいな気持ちで、もうひとつ、もうひとつと聞き始めると、なんだか小さい箱庭でおきてみるみたいで、コミカルにも感じてきてしまった。否、必ずどこか現実にリンクしてひやっとする。その気持ちを隠したいがための自分の「笑える気持ち」だ。全員女が殺される黙示録と、人間とネズミの立場が入れ替わる黙示録が印象的だった。割れたクッキーのお皿と電話番号の束が残された。