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たのしい?

マティス展 23/7

・(印象派の)筆触分割:普通、色をつくる際、何色かの絵の具を混ぜてイメージに合う色になるまで混色を行うが、筆触分割では、色を混ぜ合わせることはせず、一つ一つの筆触が隣り合うように配置する。(wikiより)

シニャックの招きによる新印象派チャレンジ。1904年ごろの《豪奢、静寂、逸楽》が代表作のようだが、思えばマティスの「絵画の旅」のほんのスタートだった。

 

・1914 第一次世界大戦間:

家族とも孤立し、厳しい境遇だったようだ。キュビズムっぽい実験的画面構成は、シュールな印象もあるが、独特なはげしい色彩感覚にあたたかみややさしさも感じる。

 

・1918 大戦後の古典回帰:

こうした古典的な秩序への志向は、第一次世界大戦後のフランスにおける文化潮流のいち傾向であった。戦線、銃後ともに大きな犠牲を強いた第一次世界大戦後の「総力戦」ののち、フランスの伝統や人間性を重んじる価値観は、造形上の前衛性を求める価値観以上に影響力を持つことになった。マティスは、ピカソをはじめとする同時代の前衛画家と同様、抽象度の高い造形から離れ、古典主義的な様式へと向かったとされる。しかし、マティスにとってこの時期は、単なる保守化ではなく、これまでの自らの試みをあらためて問いなおすためのものであったようだ。

https://www.fashion-press.net/news/102784 より)

マティス以外もそんな傾向だった、というのが面白くてメモ。西洋の女性が民族衣装をきて、鮮やかな模様の布地をバックにすっと立っている構図の絵がいくつかあり、児島虎次郎の作品を共通項を見出す。

 

・1930頃〜

この時代くらいからとても素晴らしくなっていた。「どれくらいの要素を取り除いたら、または隠したら、イメージは成立しなくなるのか?」(キャプションより)というのがマティスのテーマのひとつだったと書かれていたが、そこに到達しようとしている様がうねうねと感じられて作品ひとつひとつが生き物のようだった。すばらしい彫刻でも、よりそう感じたかもしれない。ひとつの意味がある線模様が具体性をつれてくるときそれはイメージを作り得るが、同時に消してしまう感情やインプレッション、のようなものがあって、後者を消すまい、しかし伝えるべきことを伝えたいので線や色をおく、といった姿勢が感じられた。一つひとつが実験のようだった。絵や彫刻はリラックスしていて呼吸が感じられた。あと、またこの人もタヒチかーい(タヒチの光は違う…n回目)

 

好きだった作品

夢 1935

座るバラ色の裸婦 1935

鏡の前の青いドレス 1937

 

これもよかった。「主題と変奏」ってもはや考え方?というか生き様?↓

連作「主題と変奏」は、その成果のひとつであり、人物や静物を丹念にデッサンして対象を完全に把握したのち、それらを「変奏」して自由に描きだすという方法によって構成されている。

https://www.fashion-press.net/news/102784 より)

 

・初期の「金魚鉢のある風景」

・切り絵の「ジャズ」シリーズももちろん大好き。踊り出したくなっちゃう。

 

・大好きなマリノ・マリーニとの共通項発見

同じような抽象度で、マティスも「軽業師」を描いていた。静のなかに踊るような動を見出す線に共通項があった。

こんな展示も!(かごしま!)https://bijutsutecho.com/exhibitions/5767

マティスの30年後にマリーニは生まれているけど、活躍した時期はかぶっている。