静岡で毎年行われている「羽衣まつり」にいってきました。
https://shizuoka.hellonavi.jp/tourist-attractions/central/mihonomatsubara2021
能と狂言をいくつか見たけれど、どれもこんなに楽しめるとは。
発祥の地とされる三保の松原の海岸すぐで行われる能「羽衣」。
元となった「羽衣伝説」はこちらをご覧ください。 なかなか面白いお話。
https://shimizukaigan.doboku.pref.shizuoka.jp/asobu/hagoromo/
初めての能。このロケーションで見たからこそ楽しめたと確信している。
海を見て、富士山をみて、かぜにふかれて、ぎりぎり肌寒くない秋のひんやりとした空気に包まれ開放された気持ちで着席すると、心の器が大きくなる。
謡(コーラス隊)とはやし型(楽器隊)の凛とした出立ちと音に耳を澄ませてるだけで、どこか違う世界へつれていかれる...
シテ(主役)の羽衣の天女の舞が、見たこともない美しさというが、小刻みに少しずつ動く...どうやって楽しめばいいんだ?と最初は「?」だった。でも、「?」のままいるとだんだん、なんともいえないその動きに、薪の火のこと夕焼けがぱっと重なり、衣装の羽衣がきらっとしたときに、ぶっとんだ...。なんというか...舞なのに静止画?静止画のなかの無限の動き? 舞台を「みている」といつも視覚優位になるが、コーラスの歌が天女の舞のイメージの土台を作っていたため、聴覚・視覚・そして薪の匂い、いろんなものがあわさって、全く違う時間軸に連れて行かれた。
もはや現代アートで得られる感覚のような=現代を生きるSNSやマルチタスクデスクワークの均質的な速すぎる時間から、遠く、遠く離れた、まったく違うパースペクティブになっていて...
「素晴らしい舞」と言われた時にクラシックバレエを軸にした人間の身体の「動き」の素晴らしさを最大限に見せる派手さ・華やかさを想像していたことを、なんて思い込みなんだ!と思った。記憶に新しい映画「犬王」は確かに面白かったけど、コンテンポラリーダンスで跳ねまくってたよね、、この舞ってそういうダイナミックさとはむしろ真逆なんだよ...! だからこそ「動き」ではなく「運び」...。そのゆっくりのなかに無限の時間が流れていて、奥行きと、動作と静止の間の境が、異界の天女・人間の出会いが、昼から夜へうつりかわる夕暮れの合間が誘う...「これが...!! あの幽玄かッ......!?」トリップしましたね。
シテ・ワキ・謡などの姿勢や様式がかっこよすぎるし(後見というアシスタントでさえかっこいい)、シテは美しかったし、いろんなつぼをぎゅぎゅっと押されて、静かな興奮がおしよせる。
なんだか天女そそくさ帰ってくのがかわいかったし...そう、天女=シテ(主役)舞台から出ていくとき印象的だったんだよね。突然で、「あれ?」って。
他の演者たちもあとを追うように舞台から出ていくその頃に「あ、終わったのね」とやっと思えて、周りからパラパラ拍手が。
終演後家族で、「拍手が似合わなかったね」という議論になったんだけど、やはり基本的に拍手はしないみたい。
https://www.the-noh.com/jp/trivia/010.html
「能の舞台は、いつの間にか始まり、ひとときの夢のごとく終わる世界です」とあるけど、まさしく...。
なんというか、演者vs観客という構造じゃないんだよね。包まれちゃうの、世界に。だから終わるときは、その世界がふっときれて、あれ、ここは...?ってなるかんじ。だから、拍手とか、似合わないんだよね。すぐ拍手できる人は、夢の中に入ってないと思う。
美しい時間だった。
ほか曲目、縛棒の狂言と、車僧の能もよかった。
車僧、途中で出てくる小天狗が、僧を魔道におとそうとする手段、「こちょこちょ」だった。こういうのを間狂言というらしい。間に狂言♪
シュールなファンタジー世界とコメディって、よくかんがえたら私の大好物なんだよね...。そうか...。好きかもしれない。