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たのしい?

小早川秋聲@東京ステーションギャラリー(2021年11月)

 

 

とっても久しぶりな友だち2人と。

 

入った瞬間からその幅広い画風や、おじさんの絵の表情の愛らしさに興奮し、きゃあきゃあ言っていたら、「喋らないでください」と怒られてしまう。

喋るの自体が禁止なのは少し驚いてしまったが、確かに少し声が高かったのは反省し、再びゆっくりとみる。

 

幼い頃から画家を目指し、基礎をしっかり確立していた画家ということだが、色彩や画材、テーマの豊かさに、すごく柔軟に絵を楽しんでる感じがしてとてもワクワクした。

特に、先に話した「微笑」や「薫風」のおじいさんの表情に癒され、

ポスターにもなっている「愷陣」(戦地から故郷に戻った兵士は讃えられるのに、ともに戦火を潜り抜けた軍馬は埃まみれのままでいる、村人がそんな軍馬を花で飾り労った漢詩に着想を受けているという)の馬の重量感と装飾品の煌びやかさの対比に圧倒され、

旅の先々で描いたポスターは、ギリシア、イタリア、トルコなどの風景を、驚きながらも日本人のフィルターで好きなところを見つけてる感じがよく伝わって、可愛らしく新鮮に思った。

とまあ、どれも親密に感じながら、ここまでいろんな感情を引き出される展示はなかなかない気がする。

 

さらにフィーチャーされていたのは「國之楯」をはじめとする戦争画だったが、とても不思議な気持ちになった。

すごい感覚的な話で恐縮なのだが、なんというか、戦争前までの多彩な絵を見ていて、この小早川さんという人はすごくまっすぐな人で、自分の目でみた新しいものの良いところを出すのが上手なんだなあと思ったんだけど、戦争でも多分それを実践しようとしている感じがして、胸がぎゅっとなった。それは確か「御旗」をみたときにうけた印象。まだ、小早川さんがいる気がする。でも、「國之楯」ではなんか小早川さんがいなくて、戦争の胸元にとびこんでいったために、戦争にぱくっと食べられてしまい、その深いふかいところを描かされてしまったという感を受けた。なので、軍部が公開を禁止した「國之楯」は、とても怖いんだけど、すごく惹き込まれる絵で、ますます恐ろしかった。これは確かに、なにかを確実に感じる絵なので、語られていくべきだと思う。

 

戦後の絵は、良いところもあったけど、以前の生気がないように感じた。絵のサイズもこれまでより小さくなっている。

胸の内で涙が出た。

しっかり自分の好きなことをみつけて、環境にも恵まれ、機会を無駄にせず、新しいものを見ようとし、幅の広い、豊かな色彩の絵を描いていた人が、戦争中には茶や青、黒といった絵しか描かなくなり、その均質化のトンネルを抜けた先の絵を見て。

戦争がなかったら、この人はどんな絵を描き続けていたんだろうと、しんみりした気持ちで、東京駅を出た。