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たのしい?

【まんが】「アンダーカレント」豊田徹也

◆アンダーカレント 豊田徹也

意識下で起こること、全然意味がわからないこと。日常は続いているなかで、その「暗流」(アンダーカレント)に突然足を踏み入れていることがある。突然理解が及ばなくなった隣人、自分が知らない自分、暴力、抑えきれぬ衝動.......そういった黒い影がひっそりと、そこに流れている。

 

とある銭湯のせわしない日常から始まるこの物語。銭湯にくる常連のお客さんや、受付のおばさんたちの会話から、どうやら主人公「かな」の夫が、夫婦が共同経営する銭湯から逃げ出したらしいことがわかる。いわゆる蒸発だ。が、お風呂とおしゃべりを楽しむお客さんの活気や、働くことに勤しむかなの姿からは、ものすごい悲壮感はあまり感じられず、エネルギーに満ちた日常という印象を受ける。(もちろん、かなはちょっと疲れているし、休憩中に流れるニュースも不穏なんだけど)

そこから一気に様子が転じるのが、店を閉じて、誰もいなくなった浴場をひとり掃除し終えた かな が、ふと浴槽の淵に座り、後ろからお湯のなかへ倒れ込むこのシーン(画像↓)。この銭湯の水面こそ、夢に登場する水面であり、幼い頃の記憶と強く関連した水面だ。「日常」→「アンダーカレント」への入り口。それは例えば、村上春樹の「井戸」を彷彿とさせる。

 

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吹き出しと小さなコマ多くの擬音で構成されたここまでの「日常」シーンから、突然の大ゴマをゆったりと使う「アンダーカレント」への表現がとてもみごとで、この時点でもう漫画読みボルテージは最高潮に達する。カメラを意識すると、「めだか→俯瞰→水中のめだか→かなの目線→俯瞰→めだか」=「日常→アンダーカレント→日常」という流れが見事に表現されて、そのリズムの付け方と、これからの「物語の予感」の立ち上げ方に、唸りを上げる。かっこいい 涙

 

物語で登場する様々なアンダーカレントの多くは「消失」につながっている。人も、家も、服も消えた。消えてしまうと、暗がりに気づく。でもそれがどういう暗がりなのか、よくわからない。その深さや得体のしれなさに、人は混乱し、恐れる。それを確かめるために、何らかの手段で、アンダーカレントに近づいていく。

 

こう書くと、サスペンスっぽくなるんだけど、あまり深刻になりすぎないのが面白いところで、その要因として、漫画的要素が多く挙げられる。

画面は、基本的に映画みたいな静謐な感じだけど、擬音・擬態表現が古典漫画表現っぽくわざとらしいのが面白い。また、主人公をはじめとした若めの人物は7割シリアスな作画なんだけど(3割ギャグ漫画になる)、銭湯周辺の街のおじいちゃん・おばあちゃんはとにかく元気なギャグまんがのキャラみが強い、、(この人たちこそ、恐ろしい「アンダーカレント」たくさんみてきただろうにねー)セリフからも、漫画的ギャグやノリ、楽しさ=人物に対する愛みたいなのが随所にみえて、この辺が軽さをうま〜く生んでるのであります。

 

基本クールでかっこいい絵柄に、ひやりとする物語、そして時折かいまみえるキャラの愛くるしさのバランスがとてつもなく絶妙で、まるで「あまじょっぱさ」が職人芸な創作料理です(これは先日行ったお料理どころ「台形」と重ねてる部分になるのですが、これについてはまた別途、、)

 

絶版になってるの、本当に惜しいよー!各位、いつでもお貸しします。