イタリア&フランス 2023の旅
5年ぶりの約2週間の旅路まとめ。
◆印象的だったもの
自動車の誕生(ダヴィンチが構想した車のシステムからスタート)から自動車の未来まで
歴史をたどりながら、これまでの車を一挙にみられる博物館。2時間は必要でとても広いし
色とりどり、かたち様様なクラシックカー、楽しすぎる。。
フィアットの500の最初のモデルとか、トポリーノ(ミッキーマウス)モデルのフィアットもあった〜。
印象的だったのは、1907年、北京からパリへクラシックカーで走り切ったという車。
そういうレースがあったというのも驚いたし、その後も何度かこのレースやってるらしい、、さらに来年2024年にも行われるとか。
当時は道こそ整備されてないやろうし、信じられない...情熱しかない...。
- ビチェリン@トリノ Bicerin
エスプレッソ、チョコレート、生クリームでできたホットドリンク。
ヘミングウェイにより「世界で残すべき100のもの」に選ばれてるとかなんとか...。
一緒にチョコ食べてまた味わい深い。寒空の街歩きで疲れた身体を癒してくれる。
もともとチョコレートは薬だったことを今回の旅で何度も思い出した。イタリアのチョコって味がぎゅっとしてる。
あと、パニーニで食べたBRA(生の牛肉)も美味しかったな〜。
- ベラッジョ Bellagio
コモ湖のリゾート地。「コモの真珠」と言われている。
小さくて品のいい街なみで、お土産屋さんにあるものもどことなくエレガント。
お金持ちの別荘もたくさんあるらしく夏は大変に混むそうだが、
OFFシーズンなので静謐な雰囲気を楽しんだ。アルプスの山が見える湖畔はひんやりと
素晴らしい空気で、秋の太陽が照らす湖面が激しく光っているのをみて、イタリアを感じた。
このカラッとした雰囲気は、日本では出ない!
日本の秋の湖は、どうしても寂しさがあるからね。
Bellaggioにいくフェリーで、Menaggioも通るんだけど、似た名前に全員が混乱してたのを見かねて、船長さん?が「Menaggio め!なっじょ!」と繰り返してたので
船内がやさしい笑い声に包まれたときほっこりした。
フェリーはあまり揺れずあったかくて気持ちよかったー。
- Cantina Piemontese@ミラノ
つれてってもらったお店。すごい凝った内装で、東洋趣味も感じられるイタリアン。
だけど現代的すぎず、おさえてるところはおさえてる感じがした。
旬のフンギ(きのこ)のパスタ、かおりがすごーくて美味しかったあ〜〜。
相変わらずサイズも雰囲気も作品も大好きな美術館。
同じ近現代でも、ポンピドゥーよりもこっちのほうがワクワクするのはなんでか勉強して知りたい...。
卒論のテーマのきっかけになったマリーニの像も健在。修学旅行生は全員「あれ」を見て笑ってたけど、それでいいのだ〜
今回はAlla Madonnaにはいかず。Trattoria Pontiniで食べた。
ワインも安くてヴェネツィアトラットリアにしてはとても良心的だと思う。
Barがある感じも地元っぽくてよかった。
- カーナレッジョ Cannaregio@ヴェネツィア
ホテルの位置の関係で、あまり中心にはいかず、Cannaregio地区をうろついていた。
奥まで行くと土地の人も住んでいて、バーカロやジェラテリアの雰囲気も最高。
ずっとこのへんで夕飯食べればよかったな〜とも。
とぼとぼ歩いてると、ヨーロッパで初めてのユダヤ人ゲットー地区があった。
シナゴーグには入れず。時間があれば勉強ツアーにも参加してみたかったけれど。この時勢もあってゲットーの中心には警備員が2人いたけどいちゃいちゃしてて緊張感ゼロ。
ヘブライのお菓子も食べてみた。Mandorlaのペーストが入ったお菓子。とてもほろほろで優しい味だった。Buon assaggio!と、優しいsignoraが売ってくれた。
これまでの歴史と今起きている戦争に思いを馳せた。
- Latteria2465@ヴェネツィア
観光客に圧倒されて疲れたこころとからだを癒してくれたデカパニーニありがとう。
静かな街角にあって、それもよかった。美しい時間だった。
殿堂入り。大都会ミラノと、最大観光地ヴェネツィアで疲弊した心を癒してくれるcamiriere...
今回の旅で初めて「Ciao, cara. Tutto bene?」と言われて泣いた。
隣の英国人もなんだか気さくで、このワイン美味しいよと勧めてくれたのをそのまま頼んだけど、1杯10ユーロだったのも良い思い出だね...。
小牛とトマトのラビオリ、お決まりのパンナコッタで締める。
サントスピリト地区、やっぱり好き。
*このあとSabor Cuobanoまで歩いて飲む。キューバのお店。
DJをやってる彼女とCami Layé Okúnの話で盛り上がる。
とまったホテル。ヴェネツィアのホテルもかわいかったけれど、
Berchielliは朝食の味と、スタッフさんが一番親切だったのはここ。
お湯加減もよく、浴槽も広かったし。
湯沸かし器や体温計もすんなり貸してくれた。
ホテルのおかげで、フィレンツェでぷち体調崩し気味だったときも、快適に過ごせた。
- マリノマリーニ美術館@フィレンツェ
やっとこれたーーーーーー!
約1時間半の滞在だったが、在学中ずっと改修中だったので念願かなって。
高低差を生かした素晴らしい展示。
大きい作品と小さい作品のバランスがパーフェクト。
階段を歩いてるとこんなところにも!と精霊のようにひそむちっちゃい作品。
角度をかえてみると、同じ題材の2つの作品が相似になっているのにも気づく、美しい。
マリーニを楽しむには絶好の場所。
マリーニをなぜ好きなのか考え直した。
「自分はエトルリア人だ」というマリーニの彫刻には、どれも古代の大きな流れが通底する。
基本、どっしりとした木の幹のような安心感。スピードに流されない信頼感。
それに加えて、現代的な遊び、軽さを取り入れた雰囲気がすごく肌に合うんだよね。
楽しむことが重要、とその日も言われた気がした。
特定の芸術を好きになるのは友だちができる瞬間に似ていると思う。
- クリスマスムードの街(特にパリ)
トリノのクリスマスショップ、フィレンツェのクリスマスの街頭どれも凄かったけど、特にパリのクリスマスムードは素晴らしかった。
(比べるのもおかしいけど)クリスマスの手垢がついた日本の商業的イメージ、型にはめたイメージ、それを皮肉るイメージどれも疲れていたけど、
本場のクリスマスはまさにまっすぐで、ときめきと温かさでいっぱいでした。
そういう意味でも日本の正月だなと思った。(年末・正月を皮肉る人はあんまりいない)
これでもかというくらい盛り盛りのライトはしかしパリの街ともあっていて、
初めていった最大規模のテュイルリー公園のクリスマスマーケットは移動遊園地の光とホットワインの香りで溶けそうになった。
体調戻らずのパリでここまで楽しめたのはアパルトマンの立地のおかげだった...本当にあそこにしてもらってよかった。
- ギャラリーラファイエット グルメ館での豪遊@パリ
日数を減らしたパリで、最後思い残すことなくエンジョイし尽くすため、グルメ館で遊び倒した。
やりたい放題、楽しかったな〜
・マブロマティス(ギリシャ料理)のラムのフリットとヨーグルトソース、ワインを堪能。
(私はギリシャ料理のヨーグルトソースが大好き。日本で見つけづらいよね)
・赤ワインを一本ジャケ買い
(今までみてきたワイン売り場のなかで一番広い!興奮!)
・ピエールマルコリーニのホットショコラをいただく。
ぎゅん!!!とあたたまって二人で叫ぶ。クランチチョコみたいなのもついてきた。
・Alléno & Rivoire(砂糖ではなく白樺の樹液をつかったチョコ)と、もう一つチョコをお土産に。
・スパイスと塩を打っているお店で、黒い塩を小さい瓶に入れてもらう。
・PHILIPPE CONTICINIで、パリ・ブレストと、黒いケーキをいただく。本場のパリブレスト、キラキラだった。
・翌朝のためにクロワッサンも購入。
ギャラリーラファイエットはまさに伊勢丹新宿本店を彷彿させた。
伊勢丹がここを真似したんだね〜。子供服売り場なんて、まんまだった。
アドレナリンの出方同じ。
- Comme un bouillon@パリ
フランスの大衆食堂bouillon。いきたかったbouillonは遠かったので
近場にしたらここも安価でボリューミー、大変美味しかった。
◆思った
各地でつながる回線をつかうみたいで、ボーダフォン、WIND3、TIM、フランスではorangeなどそれぞれにつながって面白い。TIMを捕まえたとき繋がらなくなったときあったけど、TIMはイタリアでも評判悪いみたい。15日以上滞在するときは通信速度落ちるというのを知らなかった!
- 現金まじで要らない
barでもカードをすすめられる。今回いったのが大都市だからですか?
- 5年たって、、時差ぼけが激しい
到着時は大丈夫だったんだけど、帰国しての時差ぼけがこれまでで一番ひどい
今もたたかっている。多分疲れもある。
- 思い出のヴェネツィアのユースホステルはコロナでなくなっていた。ショック。
- でも思い出をおいかけすぎると楽しめなくなるな、と思って、旅の後半から反省して今を生きるようにした。
- ヴェネツィア高すぎる ミラノもやっぱり高い
- 良いホテルは宿泊税が高いなー!星によって変わるの知らなかった。その恩恵をしっかり受けたが(朝ごはん&お部屋など、快適)
- さらに追い討ちをかける涙の円安。代理店の方から聞いていた通り、私も旅の後半、円換算しなくなる。(この点においても思い出=過去を追いかけすぎるとよくないのである)
- ミラノとヴェネツィアで魚ばかり食べていたら、途中で肉食べたくて仕方なくなった。というか肉が切れて動けなくなった。こんなことがあるとは。
- やるのかやらないのかショーペロ。金曜全国的にショーペロだと聞いてたのに結局電車けっこう動いてた。
- イタリア語。5年間本当にやっていなかったが、現地について1週間するすると記憶の蓋が開いて聞く分には何の問題もなかった。喋るのはだいぶ忘れてた。活用とか...。
- 旅行レベルだと、言語の問題はなく、気持ちの問題が多い...。日本だと、言うのためらっちゃうときがあるからね。そういうのをどんどん忘れていく2週間だった。歌うように喋る。喋ることで身体がめぐる。ぎゅんぎゅん。
◆旅を終えて
結果的に、この4年間でかたまってしまってた心の雪解けをもたらす旅となった。
正直この1年間顔がまっしろになって、どうやって感じればいいのかわからなくなってた。
でも無理に感じにいくのも違うし...と悩んでた。感じるのは、むこうからやってくることだから。もはや何をしたい、どこいきたい、とかもわからなくなっていて、危機を感じたので、とりあえずイタリアに戻ることに。
結果、仕事生活やコロナでふさいでたドアをやっと開け放って換気することに成功。
これまで自分のこと殺し過ぎてた!!!あぶねー!と気づいたし、
顔が明るくなった、と同居人かつ同行者に言われる。
最近ずっとワークライフバランスのなかでたたかっていたが、その外側へいけたからだ。(帰りの飛行機でみたマトリックスレザレクションの打倒セラピスト!と重なる。。。ふふ...)
ここ最近も旅行(国内やグアム)はしていたが、それでは辿り着けなかった...。日常のなかのOFFじゃなくて、冒険をしたからだと思う。
まぁこんな贅沢な旅はなかなかできないので、冒険の仕方を考えていきますが。
旅をアレンジしてくれたトゥッタイタリアに感謝。。
遠くへ行くことはやっぱり素晴らしい。ありがたい。
円安に負けないぞ。工夫すればいけないことはない。
ヨーロッパ以外も、たくさん行きたくなってきた!
私は生まれ直している スーザンソンダグ
ーーこれからは、意識に入り込んでくるありとあらゆるものごとを書く。
高尚な文化をあまりにも長い時間、むさぼり食ってきたことからくる、一種の愚者の自尊心。
私は口が下痢気味で、タイプライターは便秘気味。
くだらないものでも気にしない。いかに書くかを習得する唯一の方法は書くこと。
考えていることが不完全だからっていうんじゃ、書かない言い訳として不十分。
ーーもっとも貴重なものは生命力(バイタリティ)。・・・意志+精力+やりたいことをやる意欲+失望に「沈没」させられないこと。
アリストテレスは正しい:幸福は目指すものではなく、目指す活動の副産物だ
(1957年。ソンダグ24歳くらいの日記)
ーーー
この日記は16歳からはじまる。
16歳で大学入学したその知識への貪欲さと元々の文学の造詣に圧倒されながらも、
新たな人との出会い、知性へ憧れつつも、知性と感性の狭間での葛藤に苛まれる姿、性的な欲求と発見や戸惑い、家族との距離感(「知的には出て行きたかったが、感性的には出ていきたくなかった」)は全く大学1年生の普遍性を感じて、親近感があった。あと内省ばかりしてる日記をはじてるとことか。
がやはり、その考える深度と、芸術への探究心と、偉大な文学/芸術と自分が同じ土俵にたっているという自負から、まさにバイタリティの塊がほとばしっていて、ものすごいエネルギーだった...。
これが16歳...母になるのも早いし、人生が...先を言ってる感じ。この感じで30歳くらいの日記はどんなんだ(←まだ読んでない)
中からほとばしってるんだよな〜隙がないかんじは「前書き」通り、まじめでアイロニーがない感じではあるが、
息が詰まるものではなく、「生まれ直す」過程なので、常に次へ行こうとしてコックピットにのっているスリル・ドキドキが。
薪能 「羽衣まつり」@三保松原
静岡で毎年行われている「羽衣まつり」にいってきました。
https://shizuoka.hellonavi.jp/tourist-attractions/central/mihonomatsubara2021
能と狂言をいくつか見たけれど、どれもこんなに楽しめるとは。
発祥の地とされる三保の松原の海岸すぐで行われる能「羽衣」。
元となった「羽衣伝説」はこちらをご覧ください。 なかなか面白いお話。
https://shimizukaigan.doboku.pref.shizuoka.jp/asobu/hagoromo/
初めての能。このロケーションで見たからこそ楽しめたと確信している。
海を見て、富士山をみて、かぜにふかれて、ぎりぎり肌寒くない秋のひんやりとした空気に包まれ開放された気持ちで着席すると、心の器が大きくなる。
謡(コーラス隊)とはやし型(楽器隊)の凛とした出立ちと音に耳を澄ませてるだけで、どこか違う世界へつれていかれる...
シテ(主役)の羽衣の天女の舞が、見たこともない美しさというが、小刻みに少しずつ動く...どうやって楽しめばいいんだ?と最初は「?」だった。でも、「?」のままいるとだんだん、なんともいえないその動きに、薪の火のこと夕焼けがぱっと重なり、衣装の羽衣がきらっとしたときに、ぶっとんだ...。なんというか...舞なのに静止画?静止画のなかの無限の動き? 舞台を「みている」といつも視覚優位になるが、コーラスの歌が天女の舞のイメージの土台を作っていたため、聴覚・視覚・そして薪の匂い、いろんなものがあわさって、全く違う時間軸に連れて行かれた。
もはや現代アートで得られる感覚のような=現代を生きるSNSやマルチタスクデスクワークの均質的な速すぎる時間から、遠く、遠く離れた、まったく違うパースペクティブになっていて...
「素晴らしい舞」と言われた時にクラシックバレエを軸にした人間の身体の「動き」の素晴らしさを最大限に見せる派手さ・華やかさを想像していたことを、なんて思い込みなんだ!と思った。記憶に新しい映画「犬王」は確かに面白かったけど、コンテンポラリーダンスで跳ねまくってたよね、、この舞ってそういうダイナミックさとはむしろ真逆なんだよ...! だからこそ「動き」ではなく「運び」...。そのゆっくりのなかに無限の時間が流れていて、奥行きと、動作と静止の間の境が、異界の天女・人間の出会いが、昼から夜へうつりかわる夕暮れの合間が誘う...「これが...!! あの幽玄かッ......!?」トリップしましたね。
シテ・ワキ・謡などの姿勢や様式がかっこよすぎるし(後見というアシスタントでさえかっこいい)、シテは美しかったし、いろんなつぼをぎゅぎゅっと押されて、静かな興奮がおしよせる。
なんだか天女そそくさ帰ってくのがかわいかったし...そう、天女=シテ(主役)舞台から出ていくとき印象的だったんだよね。突然で、「あれ?」って。
他の演者たちもあとを追うように舞台から出ていくその頃に「あ、終わったのね」とやっと思えて、周りからパラパラ拍手が。
終演後家族で、「拍手が似合わなかったね」という議論になったんだけど、やはり基本的に拍手はしないみたい。
https://www.the-noh.com/jp/trivia/010.html
「能の舞台は、いつの間にか始まり、ひとときの夢のごとく終わる世界です」とあるけど、まさしく...。
なんというか、演者vs観客という構造じゃないんだよね。包まれちゃうの、世界に。だから終わるときは、その世界がふっときれて、あれ、ここは...?ってなるかんじ。だから、拍手とか、似合わないんだよね。すぐ拍手できる人は、夢の中に入ってないと思う。
美しい時間だった。
ほか曲目、縛棒の狂言と、車僧の能もよかった。
車僧、途中で出てくる小天狗が、僧を魔道におとそうとする手段、「こちょこちょ」だった。こういうのを間狂言というらしい。間に狂言♪
シュールなファンタジー世界とコメディって、よくかんがえたら私の大好物なんだよね...。そうか...。好きかもしれない。
マティス展 23/7
・(印象派の)筆触分割:普通、色をつくる際、何色かの絵の具を混ぜてイメージに合う色になるまで混色を行うが、筆触分割では、色を混ぜ合わせることはせず、一つ一つの筆触が隣り合うように配置する。(wikiより)
→シニャックの招きによる新印象派チャレンジ。1904年ごろの《豪奢、静寂、逸楽》が代表作のようだが、思えばマティスの「絵画の旅」のほんのスタートだった。
・1914 第一次世界大戦間:
家族とも孤立し、厳しい境遇だったようだ。キュビズムっぽい実験的画面構成は、シュールな印象もあるが、独特なはげしい色彩感覚にあたたかみややさしさも感じる。
・1918 大戦後の古典回帰:
こうした古典的な秩序への志向は、第一次世界大戦後のフランスにおける文化潮流のいち傾向であった。戦線、銃後ともに大きな犠牲を強いた第一次世界大戦後の「総力戦」ののち、フランスの伝統や人間性を重んじる価値観は、造形上の前衛性を求める価値観以上に影響力を持つことになった。マティスは、ピカソをはじめとする同時代の前衛画家と同様、抽象度の高い造形から離れ、古典主義的な様式へと向かったとされる。しかし、マティスにとってこの時期は、単なる保守化ではなく、これまでの自らの試みをあらためて問いなおすためのものであったようだ。
(https://www.fashion-press.net/news/102784 より)
→マティス以外もそんな傾向だった、というのが面白くてメモ。西洋の女性が民族衣装をきて、鮮やかな模様の布地をバックにすっと立っている構図の絵がいくつかあり、児島虎次郎の作品を共通項を見出す。
・1930頃〜
この時代くらいからとても素晴らしくなっていた。「どれくらいの要素を取り除いたら、または隠したら、イメージは成立しなくなるのか?」(キャプションより)というのがマティスのテーマのひとつだったと書かれていたが、そこに到達しようとしている様がうねうねと感じられて作品ひとつひとつが生き物のようだった。すばらしい彫刻でも、よりそう感じたかもしれない。ひとつの意味がある線模様が具体性をつれてくるときそれはイメージを作り得るが、同時に消してしまう感情やインプレッション、のようなものがあって、後者を消すまい、しかし伝えるべきことを伝えたいので線や色をおく、といった姿勢が感じられた。一つひとつが実験のようだった。絵や彫刻はリラックスしていて呼吸が感じられた。あと、またこの人もタヒチかーい(タヒチの光は違う…n回目)
好きだった作品
夢 1935
座るバラ色の裸婦 1935
鏡の前の青いドレス 1937
これもよかった。「主題と変奏」ってもはや考え方?というか生き様?↓
連作「主題と変奏」は、その成果のひとつであり、人物や静物を丹念にデッサンして対象を完全に把握したのち、それらを「変奏」して自由に描きだすという方法によって構成されている。
(https://www.fashion-press.net/news/102784 より)
・初期の「金魚鉢のある風景」
・切り絵の「ジャズ」シリーズももちろん大好き。踊り出したくなっちゃう。
・大好きなマリノ・マリーニとの共通項発見
同じような抽象度で、マティスも「軽業師」を描いていた。静のなかに踊るような動を見出す線に共通項があった。
こんな展示も!(かごしま!)https://bijutsutecho.com/exhibitions/5767
マティスの30年後にマリーニは生まれているけど、活躍した時期はかぶっている。
夏にみた展示や演劇
■TOP MUSIEM 光のメディア
普段は目の前にあるものを残しておくものとして気軽に使ってしまう気でいる「写真」というメディア。
写真は光を残す。でも光ってともすると肉眼では捉えられない。
写真は光を残す。それは自らのものの見え方と精神性へ潜る術となる。
と、いうことをまんまと歩きながら、脳みそでわかっていく空間。濃厚だった。
自分が写真について知り始めようとしたばかりであることを思い知った。
潜り始めるきっかけになりそうで嬉しい。
アンナ・アトキンスの植物標本のための青いギンシダの写真が印象的だった。
まだ認められなかった写真と女性という文脈をこえて、なにかすごく訴える青色をしていた。
■さんえっくす 90周年展
たれぱんだが全ての始まり=現・会長的立ち位置なのを初めて知ったんだけど、モノクロタッチのイラストは、記憶のなかよりダークな印象がつよく驚いた。
ちょっと隠の要素があるのがサンエックスの持ち味...と改めて感じる。
歴代のキャラを並べた壁は圧巻。10年ごとに、パステルとビビットの色が交互に流行ってるのがとても興味深い。
我々の時代('00)は、ビビット&デジタル初期の印象が強い。その交わりで平成初期の風味が出ている。
今はまたパステルに回帰始まった模様。
・最初のアブストラクトペインティングからめまいがした、、好きとか嫌いの次元を超えてきました。
・アブストラクト〜で色が動いて見える...と思ったが最後、キャンバスのなかで波打っていた。
・アウシュヴィッツをテーマにした「ビルケナウ」はちょっと空間の圧迫感にやられて長くいられなかった。スマホを気軽にぱしゃぱしゃとってる音にさらにめまいがしたけど、これでますます絵画のなかに潜む写真のイメージは存在感をなくし、リヒターの意図の延長がSNSでも展開され続けると思うと、さらに凄みを感じた。
・今90なんぼの年なのに長男がおれと同じ歳なのもめまいがした。息子の絵はドラキュラの目をしていた。
・自分を排し絵画や視ることを問い続ける作品をいろんな筆致や道具で追求し続けていて、最後のほうのオイルペインティングや鉛筆の絵など、トランスフォームのとどまるところ知らなさにまた驚いたが、すごく楽しく筆を踊らせてることが、そのトランスフォーム具合を見ていてわかった。すごい最終的には陽の印象を感じた。いくら主観を排しても、ここにいる楽しさは忘れていない感じ、、、それがすごく元気付けられた。印象なのでかってなことを言っているかもだけど。
■小田原測候所
インスタに感想書いたが最高だった。とくにあの冬の光の橋...。
■シャネル展
今「コンサバ」と呼ぶのものを作り上げたということがわかった。当時は革命だったんだね、と。
動きやすくかつエレガントっていう土台、そりゃ有難いよ。
ドレス、背中も見えるように展示してくれ...。
■あんなに優しかったゴーレム
マクガフィンという言葉を覚えた。
姿見えなくても、話とエピソードで愛せるだね。
展開ないっちゃないのにずっと見れちゃったのは本当にすごいことだと思う。
ユニコーンが出てきちゃう訳わからなさは好きなカオス!
さいきんの演劇やライブ
■演劇:妖精の問題(市原佐都子)
港区の地域センターさすが立派やなあと思いながら会場着。
最初のコントやバクのくだりは、すこしEテレを思い出した。
性×SF×歌唱×ポップ(ほかにも様々な要素あるけど)はここから来ていたんだな〜と「こうやってバッコスが...」という感想が主となってしまった。
というのも、バッコスのときより見ていて感情の乗せ方がわからなかった。
わからないから良いものもあると思うけど、今回の場合は少し混乱してしまった。
■舞台:千と千尋の神隠し
改めて見ると、エグい話だな〜と思った。「働かないといる意味ない」みたいな場所で奮闘して生き延びたり、唯一信じられるハクが次会ったときヒドかったり(モラハラの典型)、当時思わなかったリアルなえぐみが、魅力的な物語のなかに織り交ぜられている衝撃にくらっときた。
なんて斜に構えつつも、見入ってはしまった。アニメの演出をほぼそのまましっかり舞台化していて(よくもわるくも)、美術もすごく力を入れていて、俳優もいきいきと楽しんでる。エネルギーがすごかった。朴さんのユバーバ見れてたのしかった。諸所エド。てかぱくさん。愉快なゆばーばだったね。
■音楽:Otagiriさん
をWWWで見た。友だちに誘われて。声や身振りにぐっと入っていけた。青のイメージ。
ただ一番思ったのは、凹凸のない男性の身体への強烈なあこがれだった。いつもこんなこと思わんのに。
■女たちの黙示録 キュンチョメ
この演劇は「郵送され届く」ところから始まる。
何が届くのだろうと思ってたら、フォーチュンクッキーだった。というか私はフォーチュンクッキーを実際に見たことがなかった(ことに今になって気づいた)ようで、「怪しげなお菓子。これは女のメタファーか?」などと考えて、頭が弱かった。割ると電話番号が出てくると知ったのは、「やってみて」ではなく「そういう情報」を得てからだった(これがフォーチュンクッキーだとそのとき気づいた)。クッキーだからまず食べればよかったのに。こういうところがよくないと、勝手に自己嫌悪に陥る。聞いてみると、いろんなパターンの黙示録が、様々な女の声で流れる。だがどれも抑揚なく無機質に感じる。一つ聞いて、悲しくなってもうやめようかな、と思ったけど、「手元にあるプチプチは潰さずにはいられない」みたいな気持ちで、もうひとつ、もうひとつと聞き始めると、なんだか小さい箱庭でおきてみるみたいで、コミカルにも感じてきてしまった。否、必ずどこか現実にリンクしてひやっとする。その気持ちを隠したいがための自分の「笑える気持ち」だ。全員女が殺される黙示録と、人間とネズミの立場が入れ替わる黙示録が印象的だった。割れたクッキーのお皿と電話番号の束が残された。
さいきんの漫画読み
事情で2巻から読んだのにどんな設定か一瞬でわかった。
ラブコメもしっかりありつつ青年誌向けのアクションるーみっくワールド、今更ながら本当に本当に感激。大好物。
ミステリな世界観で、エンタメもありつつ、人間の生死についてもどっぷり考えさせてくれるこれほど馴染みやすいフィクションは、私にとっていまだほかにないと思った。(ミステリ経験値が低いだけな気もするが...。)
人魚の森と夜叉の瞳も読む!
追いついた。どういう世界なのかようやくわかった。
蛇沼さんも人間味出てきていい感じ。
世界が判明していくにつれて、主人公がしっかり自分の大事なものに気づいてきているような感じが、これからの物語を読むのに心強く、楽しみ。
眉月さんって短編から、幅広さがありつつ、ユニークさもすごい。面白い。
■さようなら女たち/大島弓子
高円寺のお気に入りの古本屋でGET。初大島弓子、かも。
「外が明るくなってるー!外が明るくなってるー!」ってこれが元ネタかあ。テンションあがる。
ここの箇所だけじゃなく、繰り返しのセリフが演劇的でドラマティック。声に出したくなる。
主人公の悩みはもちろん多いんだけど、感情→行動→事件→感情→行動...という感じで、
練りに練られた頭でっかちのストーリーからは対極的(にみえるよう)な、行動によって次々お話が進む古きよき喜劇みたいな感じが元気になる。
絵も、デッサンとかの問題じゃなくて、躍動感と魂を感じるほとばしる系。漫画ってこういうものだよね!と、
おれは漫画の何物でもないのに、思わずなぜか言いたくなってしまう。
男の子との関係も、付き合うとか付き合わないとかのENDじゃないのが、ロマンティックかつリアリスティック。
最期、例の男の子と会いたくなる理由なんて最高じゃないか。